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まずは私のレガシィRSの4面写真から。
初代レガシィの詳細については別項に譲るとして、このページをご覧になっている方ならすでにご存知の通り、「レガシィRSタイプR」とは、「1989年2月に発売された初代レガシィのスポーティグレード「レガシィRS」を、モータースポーツ向けに装備を簡略化、足回りを少し強化したグレード。、1989年10月発売」ということ。
車体番号をパーツリストの対照表に照らし合わせてみると、1989年9月に富士重工業矢島工場を後にしたことになっている。つまり、このクルマは「レガシィRSタイプR」の発売にあわせて生産された「極初期ロット」であるということ。
ありがたいことに丸々残っている新車からの整備記録簿では、初年度登録は平成2年2月となっていますから、出荷から登録まで5ヶ月弱ほどタイムラグがある。
モータープールで日向ぼっこしていたのか・・・それともどこかの販売店でお客さんを迎えていたのか・・・それは残念ながら私たちにはもう知ることはできない。
黙して語らないこのクルマだけが知っている「記憶」だ。 |
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記録簿を見ると、販売したのは「中央スバル自動車」で、最初のオーナーはなんと東京都狛江市のとある自動車整備工場。
この整備工場の記録簿は平成9年が最後となっていて、翌平成10年からは同じ狛江市の女性名義で別の整備工場での記録簿に切り替わり、さらに平成13年からは、当時、神奈川県川崎市にお住まいだった男性の名義で、「夜逃げ」で問題になった「富士スバル自動車」の整備記録簿に切り替わっている。
車検証カバーが件の「富士スバル自動車」であるところを見ると、どうやらこの方が、私の前の最後のオーナー。
このレガシィRSは私の許に来るまでに、3人のオーナーを楽しませてきたということである。
記録簿を見る限り、点検整備は6ヶ月、12ヶ月、24ヶ月ときちんと行われている。ありがたいことだ。
お名前をここに記載することはできないが、この場を借りてこのレガシィRSのかつてのオーナーだった方々に、私の許にこのクルマが届くまで、このクルマを大切にして頂いたことに心より感謝申し上げるとともに、これからも大切に乗り続けていくことをお伝えしたいと思う。
このクルマとの「なれそめ」についても記しておくと、私自身、自動車の販売の世界に長く身を置いていたこともあって、中古車検索サイトを見るのがひとつの「習慣」で、購入した平成17年のとある日、いつものように「Goo-net」ほっつき回っていたときのことだった。
そのときの画像はPCのHDDが逝ってしまったときに失われてしまっていて、プリントアウトしたものがどこかに残っているはずなので、そのうちに改めてUPするとして、走行11万キロ。修復歴なし。9万円。メーカー不詳のフロントスカート、チェリーレッドの六連星エンブレム、GDAインプレッサNB用のガンメタリック16インチアルミという内容。
雨天、それも夕闇迫る中撮られた写真で、クルマの状態を確認できるものではなかったので、早速メールで購入の意思があることを伝えて、詳細の写真を送ってもらった。
全体的に板金は入っているようだが、仮に修復歴があったとしてもおそらく軽微なものだろうと判断した。それよりできるだけオリジナルの状態を保ってくれていた方が、手持ちのパーツのストックを切り崩さずに済むからありがたいのだ。
という訳で、諸費用込み9万円也で話がつき、購入することになった。 |
まず、内外装はオリジナルに戻すために、エンジンルームを除いてすべての内外装部品を取り外した。
本来、RSタイプRにはサイドスカートは付いていないのだが、前オーナーが取り付けたのだろう。個人的嗜好で私はこれが好きではない。サイドシルへの穴あけ加工が必要だからだ。よって取り外してみると、左側のサイドシルにダメージがあった。
ちょっと気分も凹む。閉断面だけにどう出してやるのか、外装をやりかえる時までの課題だ。
気を取り直して、どんどん剥いでいくと、AV関係で配線を切った貼ったした跡は見られるが、思ったとおり、ほぼオリジナルの状態。いい傾向だ。
手持ちのフロントのSTi製ストラットタワーバー、A'PEXの「スーパーインテーク」を取り付け。エンジンはこれでおしまい。ECUもいろいろ持っているのだが、今回はノーマルのまま乗ることに決めている。念のためセットされたECUを見ると、Bタイプへの移行までにメーカーがリコールして点検の際に多くのBCが交換されたECUが付いている。 |
ダッシュボードは、ナビのディスプレイ取り付けのためのビス穴だの、両面シールののり跡でかなり汚れ、痛んでいたので、手持ちのいくつかのダッシュボードの中から、松竹梅で「竹」程度のランクのものを取り付け。
後付のオートエアコンも、内外気温センサーやその他の配線がきちんと接続されていなかったので手直し。
オーディオはこのBC/BF型レガシィで、BタイプのレガシィRSから標準装備になった「100W高機能カセット付チューナー」。
このチューナーは別に「高機能」でも音がいい訳でもありませんが、時計が大きくて見やすいのと、操作ボタンが大きくて使い慣れているので、オーバーホールに出してリフレッシュしたものをストックで3つ持っている。しかも軽量。
社外品の1DINのチューナーはボタンが小さくて走りながら操作することは事実上不可能な上に、機能がどこにあるのか分からないものが多い。2DINはあのギラギラしたディスプレイのセンスがいつまで経っても理解できない。アフターマーケットのオーディオも、少子高齢化社会を迎えた現在、「若向き」だけでは尻すぼまりになるばかりだと思うのだが・・・。 |
ステアリングは標準のMOMO製「COBRA」3スポーク。これもGT/RSの4スポークとあわせてお付き合いで頂いた程度のいいものを数本持っているのだが、今回は握りがガビガビのこのまま。できるだけ日常使いたいですからね。
当時はメディアでは「滑りやすい」とか言われていたのだが、個人的にはステアリングなら古今東西、ことにBC5レガシィならこれが一番だと思う。握りの径や全体径、すべすべした感触は「ハンドリングセダン」レガシィRSのキャラクターにぴったりだと思う。
コンペティションで使うならバックスキンのMOMOのマクレーモデルが一番だけど。 |
ちなみにこのRSタイプRには、前オーナーがパワーウィンドウと集中ドアロックを取り付けてくれていた。
トリムはなぜか後期型のブライトンのものだったので、手持ちの前期RSのトリムと交換した。
パワーウィンドウなしのクルマなど探すほうが難しい今時では考えられないことだが、実はBC/BFレガシィではまだ下級モデルに「手巻きウィンドウ」というものがレッキとしてラインナップされていた。
しかもA,Bタイプでは、そうした「手巻きウィンドウ」のクルマにパワーウィンドウを後付で取り付けるための配線すら来ていなかった。
川合勇にいわせれば、こうした内部配線くらい、上級車種と共用したほうが量産効果でコストも下がるといったところだろうが、この時代までは富士重工業らしく妙なところでコスト削減努力を続けていたということだろう。
このクルマもお決まりの「助手席側足元配線」で、これではアースが充分に取れずに前のオーナーもバッテリー上がりまくりだったのではないか?
個人的にはこのクルマはパワーウィンドウより「手巻き」の方がカッコいいと思うし、集中ドアロックなんてなくても特段困ったことはないが、家内も乗るというので残すことにした。 |
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